この作品は、過去(1903年)、現在(1962年)、未来(2008年)の三時代を生きる美しきバンパイアのリリーを描く、三部作。1962年当時、映画や小説などの世界ではオムニバス作品はあったかもしれませんが、マンガの世界ではどうだったのでしょうか?ちゃんと調べていないので、はっきりした事は言えませんが、当時ではかなり新しい試みだったのではないでしょうか。特に、単純にオムニバス作品であるならば、昔からあったでしょうが、所謂、連作オムニバスという形態は、かなり珍しいものだったに違いありません。
吸血鬼・バンパイアの女性リリーにまつわる物語は、「きり」というタイトルの過去を描く第一部から始まります。霧で覆われたオーストラリアが舞台なのですが、プロローグの霧のなか馬車のシルエットが見え、無数の蝙蝠に襲われる瞬間だけ馬車の全貌を見せ、その後、またシルエットに戻る演出は、先鋭的なセンスを感じます。吸血鬼の女性にリリーが襲われる瞬間も、霧と人物を全て点字で表現する手法も、流石としか言いようのない構図でした。リリーという名のバンパイア誕生までを描いています。
「ばら」というタイトルは、第2部、当時現代だった日本が舞台の物語。郊外の屋敷の前で、車同士の激突事故で投げ出された女性が、記憶喪失のリリーだった。ここで、リリーは、第1部のオーストリアで描かれた女性と同一人物なのかどうかわからなくなります。顔も雰囲気も国籍も違うけど、バンバンアは不死であることから、同じ人物ではないかとも思います。ただ、そんなことを考えること自体、「ほし」というアメリカを舞台にした次の第3部を読んだら、どうでもよくなりました。
2008年、当時から見たらこの未来は、火星の最も進化した生命であるウイルスに感染してバンパイアと化した者たちが大半を占める世の中でした。サイボーグ009ミュートスサイボーグ編にも登場する神々の形態をしたロボットは、火星の第一次探索隊が創造したものでした。
これは1962年の作品、この2年後、先に挙げた「サイボーグ009」という傑作が生まれます。世界に目を向けたワールドワイドな感性、壮大な発想は、この頃から持っていたものだと確信出来る作品でした。第3部では、生き残った人類に、「化け物は人間の方だ」とバンパイアは投げ掛けます。環境破壊、温暖化、戦争などで、自分で自分の首を絞めている人類に対する警告も、石森らしいメッセージであることも間違いありません。